東京高等裁判所 昭和53年(ネ)2461号 判決 1981年4月23日
控訴人
三共株式会社
右代表者
河村喜典
控訴人
小玉株式会社
右代表者
小玉外行
右控訴人両名訴訟代理人
唐澤高美
外一名
控訴人
科研化学株式会社
右代表者
大原弘資
右訴訟代理人
品川澄雄
外一名
被控訴人
青山富
右訴訟代理人
渕上貫之
外八名
主文
本件各控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実《省略》
理由
当裁判所も被控訴人の控訴人らに対する本訴請求は、原審認容の限度でこれを認容すべく、右限度をこえる部分は棄却すべきものと判断する。その次第は、次のとおり付加訂正するほかは、原判決理由の説示と同一であるからこれを引用する(ただし、第一審被告国のみに関する第二の一及び三ないし七、ならびに第一審被告明治製菓株式会社のみに関する第三の二の部分を除く。)。
(一)(1) 原判決四二枚目表九行目「抗菌生物質」を「抗菌性物質」と改める。
(2) 四五枚目裏四行目の次に「8 なお、ストマイを長期間使用していると、体内の結核菌がストマイに対して耐性を獲得することが多く、耐性のある菌により病巣が再燃した場合にはストマイは無効である。」を付加する。
(3) 六〇枚目表二、三行目「別紙二記載」を「別表二記載」と改める。
(4) 六五枚目裏六行月「しびれ感」の次に「や蟻走感」を加える。
(5) 六六枚目裏末行、「したがつて」から七一枚目裏末行までを削る。
(6) 七三枚目裏三行目「故意もしくは」を「少なくとも」と改める。
(二)控訴人らの製造にかかる原判決の別表二記載のストマイが林医師によつて被控訴人に対し投与されたかどうかについて考えるに、<書証>、第一審被告林〓助本人尋問の結果(なお、同被告は、第一審の昭和四八年二月一日付準備書面において、同人が被控訴人に対して投与したストマイにつき、その年月日、数量及び製造者名をほぼ原判決の別表一のとおり主張しているのに、控訴人らは、右本人に対し特段の尋問を試みていない。)を総合すれば、林医師は、被控訴人に対し、控訴人ら製造にかかるストマイを原判決の別表一診療経過表記載のとおり(ただし、そのうち明治製菓製造とある部分〔昭和四二年一二月二七日は投与がない。〕は、製造者不明であり、控訴人小玉製造分のうち昭和四二年一二月三〇日、控訴人三共製造分のうち昭和四三年三月七日及び控訴人科研化学製造分のうち同年五月一五日、同月二〇日、同月二七日、同月三〇日、同年六月三日、同年八月九日、同月一二日は、投与がない。)投与したことが認められる。
(三)<証拠>に弁論の全趣旨を総合すれば、右各号証は、それぞれ、控訴人三共、同小玉及び同科研化学の製造にかかる本件ストマイに添付された能書であつて、被控訴人が林医師から本件ストマイの投与を受けていた当時のものであり、右各能書には、それぞれ副作用として、別紙一、二及び三のとおり記載されていたことが認められる。
(四)被控訴人は、その請求原因において、控訴人らは、本件ストマイに添付した効能書に、その副作用の一部についての記載を欠き、副作用の防止についても極めて簡略かつ不十分な内容の説明を掲記したにとどまり、医師に対して適切な警告をしなかつた旨主張しているので、さらに考えるに、前認定の別紙一ないし三によれば、控訴人らの右能書上の副作用に関する記載は、(イ)副作用は一過性のものであること、(ロ)副作用はどのような場合に発現するか、(ハ)副作用の主な内容及び(ニ)耳鳴、難聴がはじまつたら、できれば投与を減量しまたは中止することという注意の四点から成つている(ただし、控訴人三共分については、右(ロ)を欠く。)が、右のように、控訴人らは、いずれも右能書において、普通見られる副作用は一過性であるとしており(とくに控訴人小玉は「普通見られる」という修飾語を付していないので、その限りではストマイの副作用はすべて一過性であるとしているように読める。)、しかも副作用としてアレルギー性反応・皮膚発疹・関節痛・発熱と、第八脳神経(聴神経)障害や平衡障害とを並列的に掲げているから、かかる記載は前認定のようなストマイ難聴が殆んど回復不能な極力発現を避止すべき副作用であることについての警告とは言いがたい。右能書の副作用に関する記載の末尾には、前述のように、それぞれ、耳鳴りや難聴がはじまつたらできるだけ減量または投与中止の処置をとるべきことが示されてはいるが、これをもつて聴神経障害としてのストマイ難聴が一過性の副作用には含まれない器質的損傷であることを示すものということはできない。
したがつて、控訴人らが本件ストマイにつきその能書またはその容器もしくは被包にストマイの副作用として口唇部のしびれ感・蟻走感を記載しなかつたこと及び第八脳神経(聴神経)障害が一過性の副作用ではないことを明示しなかつたこと(むしろ一過性の副作用であるかのように読めるような表示をしたこと)は、少なくとも過失に基づき、薬事法上の前記義務に違反し、本件ストマイを使用すべき医師等に対する警告を怠つたものというべきである。
(五)そこで、進んで、控訴人らの右行為と被控訴人の被害(結果)との間の因果関係について検討する。
本件においては、右行為と結果との間に林医師の投与行為が介在するから、右因果関係の検討に当たつては、控訴人らの警告義務違反が林医師の判断に影響を及ぼし、かくしてなされた林医師の適切さを欠く投与行為によつて被控訴人に被害が生じたかという因果の系列にそつて、そこに相当因果関係が認められるかどうかを考えてゆくべきものである。
(1) <証拠>によると、現在被控訴人には両側性全聾、強い左右の耳鳴り、頭痛、三叉神経痛、平衡障害、自律神経失調症、肩こり等の症状の存することが認められるところ、<証拠>によれば、林医師は被控訴人に対し肺結核の治療として、原判決の別表一診療経過表にストマイ投与の記載のある日(ただし、その具体的内容は、前記(二)において認定したとおりである。)に各一本(一グラム)宛、昭和四二年一〇月一日から同四三年五月九日までを第一クールとして五一本、同四三年六月二〇日以降の第二クール(同年八月二八日までで打切られた)の分として一五本を投与(注射)したものであるが、第一クール開始後昭和四二年一一月二四日頃被控訴人の顔面とくに額一面に発疹が生じ、同年一二月二一日頃治癒したものの、これと前後して頬が引張られるような感じ、口のあたりのしびれるような感じ、目のあたりがぴくぴくするような感じが現われ、次第に左頬が腫れ痛みがこれに伴い、翌四三年五月二〇日頃には顔面の疼痛は右頬にも及び、同年八月七日には左耳に閉塞感が生ずるに至り、同月二八日をもつてストマイの投与が打切られたのち左耳に耳鳴り、難聴が現われ、次いでこれが右耳にも及び、これらの症状が増悪の一途を辿つて現症状に固定するに至つたことが認められる。そして、右事実に前認定のストマイの副作用に関する事実を合わせ考えると、右のように被控訴人に発現した諸症状及び現症状のうち、一部は典型的なストマイの副作用として知られているところと必ずしも同じではないけれども体質等から幾分特異な形であらわれた副作用と解する余地があり、大部分は典型的な副作用にあたると認められるから、全体としてこれをストマイの副作用であると推認するのが相当である。以上の認定を左右するに足る証拠はない。
そして、右投与されたストマイの中に控訴人らの製造にかかる本件ストマイが含まれていたことも、右(二)に認定したとおりである。
(2) 一方、<証拠>によれば、被控訴人は、林医師の診療を受けるに先立ち、肺結核の治療として、すでに大森病院において昭和四〇年五月から昭和四一年一〇月まで約一年半にわたり、三クール計一五〇グラスのストマイ投与(ストマイ注射とパス及びヒドラジッドの内服を並行して行ういわゆる三者併用の化学療法として)を受け、一旦治癒と判定されたが、その後も体調が必ずしも良好でなかつたため昭和四一年一二月三日以降林医師の診療を受けたものであること、これに対し林医師は、被控訴人の肺結核は完治には至つていないと判断し、来院の都度、訴えられる症状に対し対症療法を施しながら経過観察を続けていたもので、同医師は、昭和四二年八月頃、本格的に肺結核の治療にとりかかるべきものと判断して、同年一〇月一日から被控訴人に対しストマイ、パス、ヒドラジッドの三者併用による化学療法を開始したことが認められる。
しかしながら、さきに(原判決の理由の第二の二)認定したところから、右のようにすでに三クールのストマイ投与ののちに、さらに相当期間のストマイ投与を行うときは、長期大量の投与となつてストマイ難聴を発生させるおそれがあり、被控訴人に腎機能の障害があればその危険の度はさらに高いものとなる関係にあるばかりでなく、すでに菌がストマイ耐性を獲得していてストマイの投与が無効である可能性もあつたといわなければならない。したがつてこのような場合、林医師としては、被控訴人の症状に肺結核の新たな進行を疑わせるものがあつたとしても、それが難聴惹起の危険を冒してでもなおかつストマイによる阻止を必要とする場合であるかどうか、被控訴人にはストマイ難聴の危険を増大させるような腎機能の障害その他の要因がないかどうか等を、菌の耐性試験による有効性の確認に併せて慎重に検討したうえで、再度ストマイを投与すべきか否かを決すべき注意義務があつたというべきである。
ところが第一審被告林〓助本人の供述によれば、同医師は一年足らずの経過観察(もつとも証拠によるとその後半約四箇月は来院がなく空白になつている。)によるとはいえ、被控訴人が疲労感を訴えたこと、血沈値が悪化していること、体重が五五キロから五三キロに減少していること(もつとも被控訴人の身長は、約一五〇センチメートルで、標準体重以下になつているわけではない。)等から、たやすくストマイの使用が必要であると判断し、単に大森病院で格別の不都合もなく三クールの化学療法を終了したことを確かめただけで、腎機能テストや格別の問診などを行うこともなく、菌の耐性試験もせず、ストマイの再使用に踏切つたことが明らかである。
そればかりでなく、ことに右のような状況のもとにストマイの再投与を開始した以上、林医師としては、被控訴人にストマイ難聴等の重大な障害を生ずることのないよう細心の注意を払つてその経過を観察し、投与の都度ストマイ使用による不都合が生じていないかどうかを確認し、些かでも被控訴人にストマイの不適合の徴候が現われたときは、検尿等により被控訴人につき腎機能の検査をし、オーディオメーターその他により被控訴人の聴覚に自覚に至らない障害が生じてはいないかどうかを確めるなどして、その結果によりストマイの投与を減じたり中止したりすることにより、重大な副作用の発現を未然に防止すべき注意義務があつたというべきである。ところが<証拠>によると、林医師は、被控訴人に生じた前記のような症状をその都度被控訴人から訴えられながら、これをストマイの副作用とは考えず、発疹については軟こうを処方し、顔面の疼痛については鎮痛剤を注射しビタミン剤を投与するなどの対症療法を施し、或いはパス及びヒドラジッドの併用を止めてストマイ単独療法に切り替えるなどの措置をとつたのみで、左耳の異常を訴えられてもなおかつ直ちにストマイの投与を中止するには至らなかつた事実を認めることができる。
してみると、林医師は、被控訴人に対してストマイの適応につき十分な検討を行わずにその使用を再開し、かつストマイ投与中に発生した典型的な副作用或いは典型的な副作用とは若干様相を異にしてもストマイ使用中に発生し増悪した症状であつてストマイによる特異な副作用ではないかと疑つてしかるべきものを看過した過失により、被控訴人に対し本件ストマイの副作用による全聾その他の後遺症を生じさせたものというべきである。
(3) 以上認定の事実関係に照らせば、林医師がたやすくストマイの再使用を開始し、またその投与中被控訴人の顔面に生じた前記症状について、ストマイの副作用ないし体質による不適合を疑わなかつたのは、同人のストマイの副作用についての認識の甘さないし研究不足に由来することは明らかである。そして医師たるものはその職責上、著名であり使用開始後相当の年月を経過した医薬品については、能書に記載されていると否とにかかわらず、その副作用に関し的確な知識を保有すべく、必要があるときは、さらに調査を行うべきであろう。
しかし、そうであるからといつて、医師が判断をするに際しての能書の影響力を余りに過少評価するのは相当でないと考える。思うに、実定法上、医薬品の使用及び取扱い上必要な注意事項を能書に記載することが義務付けられ、それが実際に行われているのであるが、能書は、いやしくも、他ならぬ当該医薬品を製造した製造業者自身の手によつて書かれるものであるから、これを読む者が、その内容は、当時の医薬水準によつて一般的に承認された知見を正確に要約した誤りのないものであるとして、これを受け入れるであろうことは、自然の事柄であり、このことは、右能書を読む者が医師であつても、大きな相違はないものと考えられる。けだし、医師とても医薬品に関する広範囲かつ微細にわたる知識を、しかも常に最新のものまでを含めて、正確に保持しておくことは、事実上困難であるからである。そして何よりも、読む者が一般大衆であれ医師であれ、安心して読むことができるものであつてこそ、或いは安心して判断の資料としてもよいものであつてこそ、能書というに値するのである。若しそうでないとすれば、医薬品、ことに要指示薬に能書を添付することが、無意味になりかねないというべきである。
そして、ストマイのように強力な薬効を有する医薬品については、その副作用も単純とはいえず、<証拠>に掲げられている同種ないし類似の医薬品が多数存在する現状においては、医師にとつても能書の記載が当該医薬品の有する副作用認識のための重要な資料となるものであることは否定しがたいと考える。
第一審被告林〓助本人尋問の結果によると、同人が被控訴人へのストマイ投与に当たつて難聴の発現にさして強い警戒心を抱いていなかつたことは明らかであるが、同人は、医薬品の薬効や副作用に関し、成書による一般的な知識だけでなく、当然のことながら、能書の記載をも参照して判断をしていたことが認められるから、同人の難聴の発現に対する右のような無警戒な態度は、前認定の控訴人らのストマイの能書に、難聴についても一過性の副作用にすぎないかのように読める記載がなされていたことがその一因をなしていることを否定することはできず、若し適切な記載がなされていたならば、林医師が難聴の発現を十分に警戒するに至つたであろうことは推断するに難くない。また、同本人尋問の結果によれば、同人が被控訴人の顔面に生じた症状とストマイとの関連を疑わなかつたのは、本件ストマイの能書に口唇部のしびれ感や蟻走感の副作用の記載がなかつたこともその理由の一つであつたことが認められ、これまた故なしとしないところであつて、同人が、ストマイ投与中に控訴人へのストマイの適応を確認する措置をとらなかつたについて、右記載がなかつたことが影響を与えたこともまた否定しがたいところというべきである。
(4) 以上考察したところによれば、控訴人らの前記(四)に摘記した行為と被控訴人における前記(1)の冒頭に掲記した本件ストマイの副作用による後遺症の発現との間には、相当因果関係があるものといわなければならない。
(六)控訴人らの当審における主張について考える。薬事法第五二条第一号は、公法上の義務を定めたものであるが、控訴人らが右義務に違背して被控訴人に対し損害を与えたものである以上、控訴人らは、過失の責を免れることはできないというべきである。控訴人らの援用する昭和三五年一二月二〇日衛発第一二一四号局長通知は、しびれ感を能書に記載する必要がないとする趣旨のものとは認められない。控訴人らは、予見可能性がないというが、前述した能書の意義、性格及び本件は、かなり大量のストマイが長期に投与されており(前認定によれば、被控訴人は、昭和四〇年五月から同四一年一〇月まで大森病院において一五〇本のストマイ投与を受け、次いで昭和四二年一〇月から同四三年八月まで林医師のもとで六六本のストマイ投与を受けており、これらがいわゆる長期大量の範囲に属することは、第一審被告林〓助尋問の結果により窺うことができる。)、副作用ことに難聴の発現につき厳に注意を払わなければならない場合であつたこと(現に、別紙二及び三によれば、控訴人小玉及び同科研化学の能書では、ストマイの投与が大量長期になされる場合を予想し、それが副作用発現の原因となることを指摘しているのである。)を考え合わせれば、控訴人らとしては、本件のごとき能書の記載をしたならば、本件のごとき結果が発生することを予見し得たものというべきである。右因果の系列の中に、右判断を妨げる足りるほどの特別の事情は、認めることができない。口唇部のしびれ感及び蟻走感が難聴の前触れではなく、相互に関係のないものであるとしても、右判断に影響はない。難聴は、自覚症状が出現するようになつたときは、手遅れとなる場合が多いことは、前認定(原判決四四枚目裏二行目以下)のとおりである。その余の控訴人らの主張が理由のないことは、これまで説示してきたところにより明らかである。<以下、省略>
(杉田洋一 蓑田速夫 松岡登)
別紙一(控訴人三共分)
副作用
普通見られる副作用は一過性で、主に次のようなものであります。
1 アレルギー性反応、皮膚発疹、関節痛、まれに発熱。
2 第八脳神経(聴神経)機能障害、眩量、耳鳴、難聴、平衡障害。
耳鳴、難聴が始つたら、できれば用量を減ずるかまたは投与を中止します。
別紙二(控訴人小玉分)
副作用
ストレプトマイシンの副作用は一過性であり、次の様な場合に起こります。
(1) ストレプトマイシンに対して過敏な場合。
(2) 大量を長期にわたつて用いた場合。
(3) 腎機能不全により薬剤が排泄不十分な場合。
アレルギー性反応、皮膚発疹、関節痛、稀に発熱、第八脳神経(聴神経)機能障害などで眩暈、耳鳴、難聴、平衡障害が始まつたら出来るだけストレプトマイシンの投与は減量するか中止してください。
別紙三(控訴人科研化学分)
副作用
複合ストレプトマイシン・科研・の副作用は硫酸ストレプトマイシン及び結晶硫酸ジヒドロストレプトマイシンを等量宛混じて居る為、従来の単独使用に比較すると少なく、普通見られる副作用は一過性でありますが、時には治療を中止せねばならぬ事も有ります。重篤な中毒反応は主として次の場合に起ります。
1 ストレプトマイシン、ジヒドロストレプトマイシン両者又は何れかに過敏な場合。
2 大量を長期にわたつて用いた場合。
3 腎機能不全により薬剤の排泄不充分の場合。
尚副作用の主なものをあげると次の如くであります。
(1) アレルギー性反応、皮膚発疹、関節痛、稀に発熱。
(2) 第八脳神経(聴神経)機能障害、眩暈、耳鳴、難聴、平衡障害。
耳鳴、難聴が始まつたら許されるなら複合ストレプトマイシンの投与は減量するか中止します。